自発性を探せ!⑫ ─助けてみせる─ [俯瞰日記]
最近、生活形態に小さな試みを取り入れた。
午前0時から3時くらいの間に、形式上だけでも睡眠を取るということだ。
22時から午前2時が、健康上(美容上、あるいは翌日に残る疲労感の解消のために)、最も眠っているべき時間帯だという、以前テレビで得た情報(僕の主なニュースソース)がヒントになった。
睡眠を取らないまま夜明けを越えるという、このところずっと続いていた生活の基本形態。これは、僕にとって、心理上の大きな負担だった。
単に、早寝早起きするようにすればいいじゃん!という健全な正論があるが、それは個人的な心理的理由でできなかった(「自発性~ ②」)。
午前0時から3時くらいの間に睡眠を取ると言っても、何も、3時前に起きようと努力する必要はない。7時8時まで眠ってしまえば、それはそれで、健全な睡眠の時間帯だ。たいてい3時前に目が覚める。全く眠れない時も普通にある。
それでいいのだ。とにかく、睡眠の時間帯として最も健全とされる時間幅の中で僕は眠ったのだ、という事実確認が重要なのである。たとえ2時に起きたとしても、僕の感覚としては、早起きということになる。だから、その時点からの活動中に、以前のような‘まだ僕は寝ていない’といった不安感や葛藤は、ほとんど起きない。もちろん、事実として睡眠時間の不足というのはあるし、感覚として、もう少し眠りたいという事態は、いつでもあり得る。その時は、その時の気分で午前中に改めて睡眠を取ればいいのだ。
これは、単に昼夜逆転の不健全な生活パターンというのとは、かなり違う。
しばらく続けていく価値があると思っている。
‘生の流れを変える’という、切実ではあるが漠然とした目的のために何ができるかと問うた場合、それを果たすのは、何か直接的な、具体的な目標設定ではなく、日常の生活形態の変化という、むしろ間接的なアプローチが有効なのではないだろうか。
いま、そう言ってみて思ったが、どうやら、僕は、精神的に患者であり、同時に、それに対する処方を試行錯誤する医者なのかもしれない。もちろん、他者一般を治療するいわゆるところの医者のように、誰もに適合する処方にはなり得ないだろう。
只、この構造の最大のメリットは、この医者は遠慮なく、患者を実験台として使えるということだ。
この生体実験。一般的な医学実験と違って、誰からもクレームは来ない。実験台が、自分自身なのだから。
既に一般化されたメソッド。少なくとも僕に関しては、それに何の意味もない。
人生を切り開く法という類の本は、五万とある。
だが、僕を助けるのは、僕の方法によってのみだ。天邪鬼とかではなく、事実そうなのだ。
自分が誰かを助け得ると能天気に考えている人たちが、何とあたりまえに多くいることか。
果たして、人は、人を助け得るだろうか。
僕は、今、僕の人生に、それを問うている。
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