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差別の誘惑 [頭のいい国 日本!]

 相手を黙らせる武器としての言葉の内、極めて有効なものの一つとして、‘差別’がある。
 小学生の時、‘えこひいき’という言葉で、中学生の時、‘サベツ’という言葉で、先生をあるいは同級生を責めている生徒の、快感と興奮に満ちた目を、僕は忘れられない。
 この言葉は、反論を許さない無敵の言葉であるから、人をバッシングする快感を得るのに打ってつけの道具である。
 「差別だ !! 差別だ !!」。
 こう言われたら、いやいや……と、言い訳がましく、差別でないことを弁明するか、あるいは、「差別ではない。‘区別’だ。」と上っ面の言い換えでごまかすしかない。
 現実に事実として、あらゆる存在に差別がある。その事実に、具体的に直面した瞬間、たとえば他人の劣悪な状態を見た時、僕たちは、優越感、嫌悪感、排除願望といった‘一次感情’を持つ。もちろん、その際の感情を正直に言葉にしない。一般にあらかじめ忌まわしいとされる差別というものを是認したことになるからだ。そして、僕たちは、その感情をなかったことにして無意識送りにする。この工程を瞬時に躊躇なくやれる度合いを欺瞞指数と呼ぶとしたら、この数値の高い善良な優等生は、一方で、無自覚な残酷性を際限なく発揮する。自信に溢れた両刃の剣には注意が必要だ。
 そもそも、誰もが持つ自分自身の幸福への意志が、差別化への欲望である。
 一般に人が望むほぼ全ての幸福は相対的なものである。言ってみれば、現時点の世界全体の富の内で、より自分の取り分を増やそうという意志に過ぎない。つまり、その等量の不幸を他人に請け負ってもらう幸福である。
 地質時代の貯蓄である化石燃料の消費と環境破壊という犠牲によって、僕たち人類は、うまく分配すれば、世界中の人々一人ひとりが必要最低限以上の生活をするのに十分可能であろう富を得た。
 僕は、目に星を輝かせて、♪イマジン・ゼアズ・ヌオー・ハブン などと、能天気なラブ・アンド・ピースを唱えているのではない。
 国境があってもいいし、各国の防衛費をそのままにしておいてもいいのだ。それでも、おそらく賄える。
 だが、決してそうはしない。
 僕たちは、総量としては十分な富を分け合う代わりに、どこまでもどこまでも富の偏りを再生産し続ける。
 なぜか。
 現在の歴史上かつてないこの世界の富の総量自体が、ラブ・アンド・ピース大好きミュージシャン同様、幸せへの差別化を図る個々人の剥き出しの欲望が生み出したものだからだ。
 もし共産主義よろしく、無理に分配を平等化すれば、我々の意欲が失われ、富の総量は激減し、行き渡るだけのレベルを割ってしまうだろう。皮肉なストーリーである。
 どうやら、この地球の摂理は、矛盾ありきらしい。
 自分の差別化への欲望が、富を生み、その反面で等量の不幸を生む。そんな差別化によって幸福になった者が、次は、差別を否定する。憎しみを受けるからである。既に自分の幸福を得た者にとって、この社会は平等でなければならない。多かれ少なかれ、彼らは新自由主義寄りになる。みんなが自由で、機会の平等が行き渡れば、今の自分の財産を脅かす不満分子は消え、世界は丸く治まるはずだから。
 だが実際は、人の能力の前提に差別がある以上、制度を平等にすればする程、その差別は露骨化するという現実を、今、僕たちは、目の当たりにしている。
 さて、どうするか。
 その問いは、個人に、僕に、常に投げかけられている。

 

 

 


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