寓話 時の地下鉄 [丘の上から]
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僕は地下鉄に乗り、座席に腰掛けた。
空いている席があると見るや、僕は迷わず、その席に座る。
小学校の時、先生は、「それが、いいことだと思ったら、率先垂範してやりなさい。」と言っていた。
僕は、それを、今も愚直に実践している。
それが、たとえ、優先席であっても。
また、その先生は、こうも言っていた。
「放課後の掃除は、言われなくても、自発的に、積極的にやりなさい。」と。
愚直な僕は思った。
「ようし。先生の言った通りに、自発的に、その言いつけを守るぞ~。」と。
座席で、うとうとしていたら、年をとった男が途中駅で乗ってきて、僕の目の前に立った。
譲るべきか、譲らざるべきか。
よくある葛藤のシチュエーションだ。
僕は、頭の中でシミュレーションを始めた。
譲って喜ばれる想定。遠慮される想定。気を悪くさせる想定。立ったはいいが、座ってくれず、きまりの悪い間が続く想定……。
次は、譲らない場合だ。
目を閉じて瞑想する想定。あえて相手と目を合わせたまま、ひるまない想定。中吊り広告を食い入るように凝視する想定。一定の感覚で左右を見て、挙動が落ち着かない人になる想定……。
僕は、ありとあらゆるパターンを考え、その一つ一つに対策を練り、その時の心境を想像し、それぞれどの状態になっても大丈夫という、気持ちの覚悟を作っていった。
よし。
僕は、意を決して立ち、ナチュラルヘヤーのように、カチカチに固めた自然さで言った。
「どうぞ。」
すると、その老人は、怪訝な表情で言った。
「そんな、いいですよ。とんでもない。」
おっ、このパターンか。
僕は、さっき考えたシミュレーション通りに展開を進めようとしたら、その老人は続けて、こう言った。
「だって、お見かけしたところ、貴方のほうが、ずっと歳をとっていらっしゃるじゃないですか。」
え?
僕は、どれだけの長い間、葛藤していたのだろうか。
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