永遠に失われている時間 [泡沫の感興]
一日の終わりにシャワーを浴びる
今日は終わりだと観念して、シャワーを浴びる
同じパターンで順番に体を洗う
この既視感ならぬ、既体感
繰り返し感
ずーっと昔、兄がサラリーマンになって数年が経った頃、
兄は、仕事中の感覚を「昨日の続きみたいだ」と表現した
まだ、高校生だった僕は、その意味が分からなかった
聞こうとも思わなかった
今、分かる
この、なんとも言えない、空しい ‘ 既体感 ’ だ
昨日、シャワーを浴びて、今浴びるまでが、妙に短い
きっと、その間、何もしていないからだ
もちろん、昼間は仕事をしている
だが、体感的には、何もしていないのだ
激流に流されている木の葉のようだ
僕は、何もしていない
あっという間に、僕の時間が終わりそうだ
昨日から、おとといから、一週間前から、一月前から、一年前から
今までが、あっという間だったという事実が証拠だ
よく、斉藤由貴の歌を思い出す
♪ 明日の朝、目覚めることが楽しみならいいね
幸せなんてほんとは、ありきたりさ
このありきたりが、僕にとって程遠い
すごいことなんだ
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