「人は、何のために生きているの?」だってぇ? [泡沫の感興]
なんであれ、‘私’が実覚できて、初めて真実となる。
あらゆる事象において、どんな権威も、歴史も、常識も、真実の根拠として採用できるものは何もない。
運命?
くだらねぇ!
当たり前のことだが、運命のあるなしを客観的に証明することはできない。だから、そこに詐欺野郎が入り込める隙がある。
運命は変えられる?
運命を変えたと信じている人に言おう。その結果が元よりの運命だったんだ。
運命を変えずに、そのままの運命を辿った? その結果が元よりの運命だったんだ。
どうだい。運命ってあったかい?
それとも、なかったかい?
相反する右と左が、個人の信念に依存して決まる。
つまり、偶然すり込まれたイデオロギーと同様だ。
そんなくだらないものにうつつぬかしている奴が、何を認識できるんだい。
で、信念?
くだらねぇ!
そんなものは、事象や現象に解釈を加え、それによって積み重なった集積としての物語に過ぎない。
その物語が、かの声を妨げている。
個人の脳のキャパシティに限界づけられた解釈と判断に基づく自作曲の演奏が、かの調べを妨げている。
それにしても、神の代弁者、つまり思考は、よくしゃべる。
しかも売り込みがうまい。商品は、精神世界の物語。
問題は、その売り込みに乗ることなく、どこまで突き進めるかである。
解釈、判断、理論、体系化、整合性の発見。精緻な物語へと案内してくれる魅惑の商品たち。
僕は、それらに触れることなく、僕の反応への誘惑に乗らず、突き進みたい。瞬きもせず。
その試みは、「イライラ棒」(*)の如くである。
真実は、脳を遥かに超えている。
そして、脳は、脳を超えられない。
「人は、何のために生きているの?」
って、得意げに聞いたって、
脳が作り出した質問に、脳が答えるだけのこと。
原宿降りて、
「フォーエバー21は、どっちに行けばいいんですか?」
って聞くのと、大して変わりはしないのさ。
*2本の金属で挟まれた構造になっている細い通路を、その金属と電気的に繋がっている一本の棒
を通して行き、その金属に触れさせることなく通り抜けることができればクリアというゲームである。
触れてしまった場合は電気回路に電流が流れることになるため、火花が出たり音が鳴ったりといっ
た演出が行われる。
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