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80年代に起きた松田聖子プロジェクトについて [いつまでたっても テレビっ子]

 未だに、僕は、だらだらとテレビを見るテレビっ子である。
 まるで、最もはずせない日課のように、毎日、テレビ雑誌片手に、翌日の予約録画をセットする。
 そんな時、自分の娯楽なのに、チャップリンの『モダン・タイムス』の工員のように、機械と時間に追い立てられているような感覚もある。
 
 中毒といえば、中毒だ。
 とても楽なインプット。
 充実した生活は、相応したアウトプットが不可欠なのだろうが、奈何せん、アウトプットは疲れる。
 
 情報を吸収することを学ぶことと呼ぶなら、僕は、お手軽に学習している。
 お笑いもドラマも、クリエイターの表現である。
 それを感じ、理解し、咀嚼するだけでも、昔(100年も遡れば)に比べたら、人生に、相当な密度をもたらしていると思う。
 だが、それが、どんなに豊かでも、表現(アウトプット)がなければ、人間は、精神のバランスを欠き、多かれ少なかれ不全感を感じてしまうのではないか。
 
 昨日、テレビを見ていて、深く合点の行くことがあった。
 『ザ・ソングライターズ』という佐野元春の対談番組。
 ゲストは、作詞家の今となっては大御所、松本隆氏だった。
 
 対談の中で、松本は、「松田聖子は、パフォーマンスの天才だよね。」と語った。
 僕にとって、全くの発想外だった。
 しかしだから、僕は、それを偶然の不思議と考えていた。
 1980年代から長きにわたって、松田聖子は新曲を発表する度、チャート1位になり、CDセールスも十分に伴っていた。
 2曲目の「青い珊瑚礁」以来、新曲を聴いた途端に、売れて当然という感すらあった。
 
 松田聖子に、なぜ、こうも良質な曲が集まるのか。
 事務所が、それなりに力を入れ、たまたま優秀なプロジェクトチームが集まったのだろうと、何となく考えていた。
 つまり、なぜ、それが松田聖子だったのかという問いは、あらかじめ放棄されていた。
 
 松本の話を聞いて、「そうか。」と、図らずも腑に落ちた。
 彼女は、天才だったのだ。
 「松田聖子は、80年代を象徴するディーヴァだったのではないか。」という佐野の問いに対して、松本は、80年代ではなく「戦後を象徴している。」とまで言った。
 
 美空ひばりが天才だったというのは、まだ分かりやすい。
 美空ひばりは、完璧なピッチを保った上で、そこに心を入れている。何か具体的な、天才の片鱗を示すエピソードを聞かされなくても、直接、歌から感じ取ることができた。
 
 松田聖子に関する具体的なエピソードが、現場に居合わせていた松本から語られた。
 彼女は、レコーディング当日に完成詞を初めて見て、メロディもディレクターの鼻歌で3回聴いたら覚え、3回練習して、3テイク程の歌入れでOKになっていたというのだ。
 これは、客観的な能力として驚くべきことである。
 
 「平たく言えば、天才ですね。」
 しかし、松本にそう言わしめた第一の理由は、松本渾身の詞の内容を、彼女は自分の中で瞬間的に消化し、それを全身で表現するという業を、あまりに自然にサラッとやってしまうという事実にあった。
 
 そういえば、と僕は思い返した。
 松田聖子の歌を聴いていると、あのときめきや切なさを伴ったヴィジュアライゼーションが、僕の中で自然に起きていた。
 あまりに自然だったのだ。それを、僕は漠然と、楽曲の力によるものだと思っていた。
 
 どうやら、違っていたようだ。
 当時、僕は、取り立ててファンではなかったが、確かに、彼女のマジックを体験していたのだ。
 
 「そうだったのか。」
 そんな、思わず膝を打つ瞬間を、テレビは、時々もたらしてくれる。
 そして、その瞬間、僕は、それを誰かにアウトプットしたいと望んだというわけだ。

 

 

 

 

 

 

 


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