僕は、「離人系」 5. [見て取られた自己]
学生の頃、『自明性の喪失』という、ある統合失調症(当時の言葉で言えば精神分裂病)患者の臨床報告を読んだ。
患者は二十歳の女性なのだが、彼女の症状は、ざっくり言えば、人が日常的に行っている基本的な行為に実感がないというもの(離人症状)である。
だから、人が自明のものとして自然に為す全ての社会的適応行動に、綿密な理由と論理的な説明付けを必要とするのである。
本のタイトルの「自明性の喪失」は、彼女自身が自分の精神的状況を表現したオリジナルの言葉「自然な自明性の喪失」から来ている。
著者(担当の臨床医)であるブランケンブルクも言っているが、彼女の言葉郡は、哲学者の洞察表現に類似している。どういうことかと言うと、誰もが全く考えもせず通り過ぎるところに厳密に意味付けをして論理的な整合性を備えた言葉となって彼女の口から出てくるのである(ちなみに、彼女の I Qは、人の平均値幅を出るものではない)。
彼女の言葉を読んだ時、とにかく、僕は、感動した。
そして、その感動は、癒しを伴っていた。
彼女から見れば、僕は幸福な凡庸性を十分に備えた、あまりに正常な人間なのだが、といって、彼女への僕の共感は、全くの誤解ではないだろう。
人間の精神の正常と異常の境界線など、大気圏外から見た地球の国境と同じく、客観的な根拠を以って語れるものではない。
そういう意味で、僕と彼女は、いや、誰もが、彼女と地続きである。一言で言えば、程度の差に過ぎない。
そして、僕は、比較的、彼女寄りということだろう。
僕は、それを必ずしも悲劇一色では捉えていない。
むしろ、そこから見える光景を、僕はけっこう楽しんでいる。
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