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有事が暴いてくれたこと [頭のいい国 日本!]

 3月11日。
 あの地震が起きた時、まずは、石原都知事と同じく‘天罰’という言葉が脳裏をよぎった。
 石原氏が話した文脈を無視して「天罰」という言葉だけに反応した大マスコミは、お約束芸だった。
 
 図らずも高濃度の放射性物質垂れ流し、世界の環境テロ国家となった日本に対して、義憤に燃えたどこかの国の結社が、日本人の普通の市民を大量虐殺したとしても、我々は、その‘国家’に報復する資格はない。
 それが、民主主義国家を自称することの厳しさだ。
 仮に、北朝鮮や中国が、彼らの正義と将来の勝算を持って、東京に核ミサイルを撃ち込んでも、我々日本は、相手国に一般市民の虐殺を含んだ報復をすることはできない。
 独裁国家の責任は、独裁者にあるからだ。
 
 菅総理が、ますます失政を重ね、さらに多くの二次災害の被害者を増産したあと、仮に「選んだおまえらに責任がある。」と、半笑いで主張しても、主権者である我々が憤る資格はない。
 この国家のどんな悲劇も、一人ひとりが笑って、誰をも恨むことなく、受け入れることができる。
 それが、民主主義の美しさだと思う。
 
 我々日本人は、これからも、おそらく、統治能力のない政治家や、何より利権を大切し、原発推進に燃える代議士たちを、結果的に政界に送り込み続けるのだろう。
 悲劇が来た時、考えず、悪者を探し、被害者の立場でのみ非難し、やがて忘れる。
 それは愛らしいことのようにも思える。
 
 できることは、‘私’が正しくあることだけである。
 僕は、啓蒙を信じていない。
 
 天罰は、マスで起きる。
 正しくあることで、その個人が天罰から逃れることはできない。
 救いは、無責任という悪に加担していないという自覚だけである。
 それだけでも、民主主義は、いい。 
 
 この民主主義国家で、それに参加しない大多数の人たちと、そのことによる次の悲劇までのあいだ、僕は、もっと真剣に生きる必要があるようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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