SSブログ

この幸福は、夢想か [俯瞰日記]


   どんなものだね 気分は

   悲しくはない?
                     (「もみの木」 谷山浩子)


 究極の話。幸せを決めるのは、気分 。

 この ‘ 気分 ’ を作り出すものを、僕たちは、いつも求めているように思える。

 何かちょっとしたことで、気分が良くなることがある。

 たとえば好きな子が微笑んでくれたり。


 たぶん、心の状態は、何もなければ、慣性の法則のように、ずっとそうあるのだろう。

 しかし、僕たちの内面は、記憶が抱える傷と、未来への懸念に事欠かない。

 たとえ、朝、起きる直前に見ていた夢に、北川景子が登場していたからといって、その時の幸せは、長くは続かない。

 もし、僕が忌まわしい記憶群に支配されていなければ、きっと、そんな幸福感でも、一日続くのだろう。


 僕たちの幸福感を妨げるもの。それは、集積した記憶と経験なのかもしれない。

 記憶と経験。

 それは、人生を首尾よく生きるために不可欠だし、とても重宝ななもの。

 重宝なものとして後生大事にしたいものが、今この瞬間の幸福感を妨げるなんて。

 人間とは、皮肉な生き物だ。


 夢を持って、目標を持って、それを達成するために努力して、結果を得る。

 それが、幸福な ‘ 気分 ’ を得るためのスタンダードな方法なのだろう(文部科学省推薦)。

 これは、ざっくり言えば、内面(の状態)に働きかける手段として、外面の条件を整えたり作り出したりする営みである。 

 だが、そんな気分そのものを、直接的に、生理的にもたらす方法もある。

 酒、麻薬、セックス等々。

 もちろん、これらに永続性はない。すぐ終わる。

 只、それを言えば、正統派幸福者の方の目標達成の満足感も、ほどなく消えるので、彼もまた、次の目標を立て続けなければならない。

 僕から見れば何もかも手にしている福山雅治の言葉は、その証左かもしれない。


 「僕の中のゴールとは通過点であって、そのゴールの向こうにまたゴールがあって……」  (ダンロップCM)


 どちらも、ある意味では、中毒状態に依存していると言えなくもない。


 できれば、どちらの状態にも依存することなく、幸せな気分でいたいのだが。

 夢想だろうか。


  You may say I'm a dreamer
                                         (「イマジン」 ジョン・レノン) 


 もし、この幸せな気分に理由がなかったら、僕は、究極のゴールにいるってことなのだろう。

 その幸せは、内面にも、外面にも敵がいないのだから。

 もちろん、僕は、そんな状態からは程遠い人間である。

 でも、幸せの理由が小さくなればなるほど、僕は、無敵に近づけるんじゃないか。

 小さい頃から、そう夢想してきた。


  もみの木 もみの木 なにか いい朝だね
                              (「もみの木」 谷山浩子)


 こないだ、僕は、自分の笑い声で目を覚ました。

 僕は、思わず自分につっこんだ。

 「おまえ、そんな幸せなのか?」


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。