やっぱり猫が好き [泡沫の感興]
犬の顔を見ていると、突き出した口の部分(口吻)を握りたい!という衝動に駆られる。
以前、犬の図鑑に、こう書いてあったのを、歯医者かどこかで読んだことがある。
「人に対して、されて嫌なことをしてはいけないのと同じように、犬に対しても、そんなこと(口吻を握る)をしてはいけません。」
それまで、自分だけの衝動かと思っていたので、ややびっくりした。
意外と、あるあるだったんだ。
それにしても、図鑑に説教されるとは。
犬の口吻。
同じような太さの代替物をあてがわれても、あの独特の心地よさは味わえない。
表面が柔らくて、中に骨が入っていること、生きていること。いろいろ理由があるのだろうが、とにかく他のものには代えられない感触だ。
猫の口吻も握りたくはなるが、いかんせん、小さ過ぎるので、人差し指と親指だけで握ることになる。
残りの指は、目の部分を含め、頭全体を握ることになるので、結果的に、猫の鼻と口だけ外に出た状態で、頭全体を握ることになる。
とはいえ、その感触も気持ちいい。名付けて、「猫の頭握り」(そのまま)。
よその猫、つまり、いま会ったばかりの猫に、それをやろうとすると、された猫は、かなり慌てる。
当然だろう。頭を撫でられているかと思っていたら、いきなり、ぐっと、全体をつかまれるのだから。
だが、猫が、そんな様子を見せるのは、一瞬だ。
僕が握った手に手加減があることを悟った途端、その猫は、警戒心を解いて、身を任せるようになる。
おそらく、本能的に、痛い=敵、痛くない=味方と判断するのだろう(他のやり方でも実験済み)。
その時、その猫は、昔、子どもの頃、母親に首をくわえられた時の、あの感触を思い出しているのかもしれない。
なかなか、いい憶測だ。
猫と犬。
純粋に、口吻の握り心地だけで比べたら、やはり、犬がいい。
ただ、トータルで比べたら、僅差ではあるが、僕は猫の方が、より好きだ。
理由は、いろいろとあるが、たとえば、
猫は、おすわりした時、ほとんどの場合、左右の手(前足)を揃えている。
そこがいい。
犬は、猫に比べれば、すわり方が大雑把だ。
犬がおすわりしているのをよく見てみると、後ろ足が、女性の横座りのように、外へ流れていたりする。
猫は、決して、そういうだらしないことはしない。
自然に、足を揃えている。前も後ろも。
自然に、というのが、ポイントである。
たとえば、人間の女性の場合、椅子に座った時、足を揃えるのは、美しく見せようという ‘ 下心 ’ があるからそうしている。
猫は、そんな意図も戦略もなく、只、そうしているのだ。
そこが美しい。
子どもの頃、猫が ‘ こんもりポーズ ’ (猫がよくやる前足も後ろ足も折り曲げて、固まったような、あの安定した形)でいるとき、
僕は、いたずらで、猫の片方の後ろ足を握って、体の外へ引っぱり出したことがある。
もちろん、その猫は、外に出された足を、すっと体の中に入れたのだが、問題はそのあとだ。
すぐに、体を左右に揺すりながら、後ろ足の形を整えていたのだ。
おお~!
猫の、この ‘ シンメトリー ’ へのこだわり。
半端ではない、と思った。
美しく見られようとしているのではなく、美しくあろうとしている。
そんな猫の気高さに、僕は、心が惹かれるのだ。
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