言わなくていい願望 [いつまでたっても テレビっ子]
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以前、青田典子がインタビューで、スキー場かどこかで出会った男と付き合った時の経験を話していた。
彼女にとって、その男の顔は全くタイプではなく、むしろ不細工だったが、その場のノリで付き合うことにしたのだという。
‘ 付き合っているうちに好きになるかもしれない ’ ということで付き合い始めたものの、結局、「やっぱり(顔が)無理。」ということで別れたとのこと。
その話を聞いた時、少なからず驚いた。
付き合っているうちに好きになるかもしれないという可能性に希望を託せるって……。
ある意味、女って、すごい!
この感覚。大半の男には理解できないはずだ。
女性は、男性に比べ、いわゆる ‘ 面食い ’ が少ないということか。
いや、そうとは思えない。
男は、美人を好み、女は、顔がイケている男性が好むという、その原則自体に、男女差は、おそらくないだろう。
青田典子のような例を鑑みて、敢えて男女差を、こじつけるなら、‘ 相手の不細工さへの耐性 ’ が、わずかに女性の方が高いということは言えそうだ。
このところ何かと話題の作家、百田尚樹が、小説『 モンスター 』を書くに当たっての取材で知ったという興味深い事実がある。
あらゆる女性の顔をコンピューター処理で平均化すると、出来上がった顔は、いわゆる美人の顔になるというのである。
つまり、他者との違い(ユニークさ)を、フラット化すると、誰もが認める美人顔になるというのだ。
このことと必ずしも論理的に繋がらないかもしれないが、僕の観察では、顔がきれいな人ほど、内面のユニークさが生まれにくいという傾向があるように思う。
また、僕の経験則では、きれいな人は、顔のコンプレックスという負荷によって抑圧が生じていない分、性格が無邪気で、伸び伸びとしている場合が多い。
それは、‘ 自分はきれい ’ という自信によるもの、というよりは、むしろ、‘ 自信のなさ ’ の不在によるのだと、僕は見ている。
性格の形成は、自意識の能動的な継続ではなく、不可抗力的な心の状態によって起きるはずだから。
いずれにせよ、美人は、内面がフラットな(歪みや凹凸がない)場合が多いというのは、それほど外れた考えではないだろう。
ユニークとフラット。ブスと美人。
もちろん、女性全般を、そんなふうに、二元論的に分けられるものではない。
が、ここは、敢えて単純化して考えてみよう。
僕が個人的に心惹かれる女性は、ユニークな人間であるが、恋愛対象にしたいのは美人である。
いつもいっしょにいたいのは、ユニークな人間だが、たまに会って、セックスしたいのは、美人である。
出川哲郎の恋愛論レベル(実践経験の裏打ちに乏しい)の推測に過ぎないが、おそらく、美人の方が、浮気をされる確率は高いと思う。
美人は、数回セックスしたら、そのあとの人間としての付き合いが、きつくなるからだ。
例えば、AKBで言えば、いつも模範解答を置きにいく渡辺麻友(まゆゆ)のような感じ。
やはり、人が継続的に惹かれるのは、その人の内面的ユニークさなのだ。
そういう意味では、美人は、男にとって、必ずしも結婚向きではないのかもしれない。
ずっといっしょにいるのではなく、むしろ、たまに会って、緊張感のあるデートをしたあと、セックスを楽しむのに持ってこいの存在なのだ。
また、美人は、人間的に心惹かれるユニークさはなくても、鋭角的な自我とプライドを持った人が多い。
そんな人とのスパイシーな時間は、たまにで十分だ。
多くの女性の反感を買うこと請け合いな考えだとは思うが、女性の側も、たとえば、男に対して、人間的には惹かれるけど、恋愛の対象としてはちょっと……ということは普通にあるはずである。
そこを分かつ理由は、男とは、だいぶ異なるだろうが。
いずれにせよ、僕の場合、妄想と憶測の範囲を少しも越えていないので、これを読む ‘ 自称美人 ’ の反感は、空振りに終わるしかない。
個人的には、切ないところだが。
ずん飯尾ふうに言えば、
平日の昼間から、ごろごろ~、ごろごろ。
あ~あ、試しでいいから、まゆゆみたいなかわいい子が付き合ってくれないかなぁ。
青田典子同様、好きになってくれなくても、全然OK!
数回セックスした後、「やっぱり無理。」って振ってくれたら、僕にとっても好都合なんだけどなぁ。
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