ひとりぼっちのあいつ [『 ‘ 風 ’ を説く無造作おじさん 』]
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仕事をほとんどしていないので、貯えは、徐々に減っている。
とにかくもう 学校や家には
帰りたくない~
( 「15の夜 」 尾崎豊 )
みたいなノリで、仕事をしたくないだけのこと。
人を納得させられる理由は、何もない。
いつも行く公園のベンチに座っていた。
「 風のテラス 」 を抜けた先の大きな公園。
いつものベンチは、公園の中央を走る通りの両側にある。
ネットで見つけた仕事の説明書のコピーを読んでいた。
家でできる仕事なら、ギリギリ気力が続くかなと思い、登録してみた。
面接なし。年齢制限なし。履歴書提出なし。
登録するのは、職歴と住所と名前。あと、振込先くらい。
数日後、仕事(案件)の募集が入った。
ダメ元で申し込んでおいたら、すぐに 「 担当者にアサインされました 」 という通知が来た。
それにしても、アサインて。
最近(いまどき)の表現なのだろうか。
‘ しかし、どこの馬の骨とも知れない奴を、いきなり、案件に当たるチームの一員にアサイン(任命)するなんて、どういう会社なんだろう。’
とは思ったが、どうせ暇だし、ということで、やってみることにしたというわけだ。
そんなダメ元仕事の説明書をベンチで読んでいる僕に、誰かが声をかけてきた。
「よぉ~! いつかの……。」
顔を上げると、あの初老の説教おじさんだ。
「あ、どうも、おひさしぶりです。」
って俺は何を言ってるんだ。親しい知り合いみたいじゃね~かよ。
「おまえは、いつも、ひとりだなぁ。」
と、僕の隣に座りながら、親しげに言ってくる。
「この近くでひとり暮らししているんで、普通ですよ。」
「いや、いかにも、おまえは、ひとりが似合い過ぎてる。」
はぁ? なんだいそれは、と思ったが、
「それは、どういうことでしょうか。」と、僕はクールに聞いた。
「おまえ、ひとりが好きだろう。」
「え?」
僕は、言葉に詰まった。
確かに、そうだ。
僕は、ひとりでいるのが、相当に好きだ。
人間関係は、ご他聞に漏れず、疲れる。
多かれ少なかれ、誰もが何らかの悩みを抱え、最も多いその内容は、人間関係だというデータを見たことがある。
気楽な人間関係ならいいが、緊張を強いられる人間関係の方が少なくないことは、ほとんどの人にとって避けられない事実だ。
特に僕に関しては、たとえ気楽な人間関係でも、最低限の緊張はある。
いずれにしろ、全くのノーストレスな状態はないということか。
とはいえ、全くの孤独だと、これまた耐え難い。
やれやれ、漱石の 「 草枕 」 の冒頭みたいだ。
ひとりが好きか。それとも嫌いか。
結局、‘ 程度の差 ’ でしかないということだろう。
ひとりが好き。
人といるのが好き。
それは白黒はっきりさせられるものではなく、その時々で揺れ動いて、僕たちは生きているのだろう。
どこにいても、双方の要素を含み、それゆえに矛盾した居心地の悪さは避けられない。
全てが、バランスであり、今、自分がどの位置にいると最も心地いいかを、是々非々で知ることが、僕たちにできる全てなのかもしれない。
時に、ひとりが癒しになる。
時に、人といることが癒しになる。
只、僕は、明らかに、前者に傾いている。
「おまえ、ひとりが好きだろう。」
その通りだ。
あるいは、寂しさを、深く深く抑圧しているだけのかもしれない。
淋しくないか ひとりの夜は
話す相手は いるのだろうか
( 「 おやすみ 」 谷山浩子 )
優しい言葉だ。
ひとりぼっちの苦しさを知っているから、ひとのそんな苦痛を心配する。
そのような優しさは、僕には、たぶん、ほとんどない。
僕にとって、ひとりは、少なくとも、耐える対象ではないから。
だから、そのような優しさを与えることもできないし、きちんと受け取ることもできないだろう。
そんな僕に、人は、きっと、こう言うに違いない。
「心の寂しい人だ。」と。
僕は、初老のおじさんに言ってみた。
「おじさんも、ひとりが、似合い過ぎてるよ。」
「そうかぁ。俺たちは、似た者同士ってわけか?」
「寂しいときは、ないの?」と、僕は敢えて、無邪気に聞いてみた。
おじさんは、言った。
「もし、寂しさで、心が不幸になるなら、おまえは、寂しさに弱みを握られていることになる。」
やれやれ、ここで、説教か。
僕はさらに、自分の聞いてみたいことを、ずるいマスコミの記者のように一般論化して聞いた。
「そんなややこしいこと言ってたら、おじさんのことを、『 寂しい人だな。』 って、みんなが憐れむんじゃないかな。」
おじさんは、にっこりして言った。
「本当に憐れなのは、どっちかな。」
おじさんの笑顔には、無理も誇りもなかった。
そこが、僕とおじさんの決定的な違いなのだろう。
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