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ねぇ、血液型は何? [丘の上から]

 血液型で、性格が類型化できるというのが本当かどうかというより、大多数の日本人(たぶん韓国人も)が、それを相当程度確かなものだとして受け入れている事実の方が何千倍も重要なことである。
 人間の脳には、あらかじめ持っているカテゴライズパターンに沿って、蓄積された知識を無意識に連想、編集する便利機能がある。PCで言えば、関連付けというやつだ。
 何かの宗教教団に妄信した人間は、その教義に沿って世界を見るのではなく、そのように世界が見えてくるのである。
 さて、僕にとっては、血液型性格類型という概念は、初歩的な幻想である。論理的にそのように理解しているのではなく、つぶさに人間を含めたあらゆる事象を見ての知覚である(論理的に証明しようと思えば、例えば、プラシーボ効果を可能な限り排除した、新薬の臨床実験のようなことをすればよいのかもしれない)。
 とはいえ、血液型性格類型を信じたくない人が、血液型と性格には相関関係がないと主張したとしても、それは、僕の知覚とは全く違う。どちらを信じるにしろ、願望によって妄信している時点で精神形態は同じである。つまり、「血液型性格類型説は幻想であるぅ!」と誰かが唱えたとしても、それは、「血液型によって、性格の基本は決まっているぅ!」という主張と同じことである、僕にとっては。
 それゆえに、僕が見ている事実を主張することに建設的意味はない。
 そして、もはや、この血液型信仰は、合コンで「ねぇ、何型~?」「やっぱりやっぱり~?」「だと思った~!」などといった軽いコミュケーションツールレベルではなく、大企業や役所での採用、人事決定などの検討材料にまでなっているという。
 僕にできることは、そんな一億総妄信者の中で、その状況を利用することだけである。
 たとえば、僕がB型だとしたら、それを根拠にして、かっこいいクリエイティブな仕事は自分が当然やるべきだと主張し、下世話で退屈な仕事はA型の人にまかせるだろう。
 O型だとしたら、B型の人に大きな恩恵を被ったとしても、彼は自己中心性を発揮して、たまたま、それが自分の利益として働いたというだけのことだから、特にお礼をどうするかとか気を遣う必要はないと判断するだろう。
 A型だとしたら、O型の人に、つい相当きついことを言ってしまったとしても、「君がO型の人で良かった。A型の人ならショックで寝込んだかもしれないけど、君は大らかで大雑把なO型の人だから、ほとんど傷つくこともないし、傷ついたとしても次の瞬間、忘れるもんね。全く羨ましい性格だね。」と言えばいい。
 AB型だったら、つい我を忘れて突拍子もないことをして、人に迷惑をかけたとしても、「二重人格(不可抗力的に顕れた別の人格)は血液型のせいだから、責任能力の点でも大目に見てもらいたい」と訴えれば、同情すら誘うこともできるだろう。
 いずれにしろ、相手が反射的に怒らないよう、先に自分の血液型を言っておいて、相手が、双方の血液型性格類型に沿った思考がすぐにできる素地をあらかじめ作っておくことは、最低限必要である。
 只、お互いの血液型を言った途端、相手が自分自身に、そして自分が相手自身に‘直接出会う’可能性は、永遠に失われるだろうけれど。

 

 

 
 


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