無邪気に傷つける女たち [俯瞰日記]
午前中の地下鉄の車内。シートに座って女が化粧をしている。おっさんたちの多くが「ったく、最近の若い娘は、何考えてんだ…」と、憤り、嘆いているであろう、そんな光景は今や日常化している。
目の前のシートで、一連の化粧プロセスを進めている女を見ている僕は、ふと自分が傷ついていることに気づいた。
この女にとって、僕は、男ではない。そんな事実をあからさまに突きつけられた気がした。僕の何か本能的な部分が傷ついているみたいだった。
なぜか昔、本で読んだある手記の内容を思い出した。
太平洋戦争の最中、連合国の捕虜になった日本人がイギリス軍部の施設内で生活していた時のエピソードである。イギリス人の女性が真っ裸でいる部屋へ自分が入っても、その女性は全く慌てる様子もなく平然としていた。そんな象徴的な出来事を体験したのだという。もちろん、入ってきたのが白人男性だったら大騒ぎである。その白人女性にとっては、ごく自然な感覚として、黄色人種である自分は、猿か犬同然だったのだ。
どんなに合理化のうまい理性でも、このシーンがもたらした絶望感の前では、遠く無力だったことだろう。
今まさに、電車内で本格的に化粧をしているこの女。もし、目の前にいる男が、僕ではなく、たとえば藤木直人だったら。きっと彼女は、外向きの態度を保っていただろう。僕と対面しているその女にとって、そこは化粧室だった。表へ出る前の舞台裏だったのだ。
‘考えすぎだよ~’‘いじけすぎだよ~’って?
そうだろうか。僕は、只、起きていることを描写しているつもりなんだが。
‘そんなこと、その女の子はいちいち考えてないし、ぜんぜん意識とかしてないと思うよ~’。
そう! その通り。だから僕は傷つき、そして感覚的によく符合する上のエピソードが脳裏に浮かんだのだ。
その時、僕の中に不思議と怒りはなかった。傷ついた瞬間の感覚を、僕の心が確かに捕らえたからだ。
人間、いきなり怒りは沸かない。その一瞬前の段階がある。
傷つきだ。
まず傷つきがあり、その直後、怒りに変わる。
「ったく、最近の若い娘は…」と、憤り、嘆くおっさんたちもまた、実は傷ついている。その傷ついたほんの一瞬を見逃すと、只、怒りと悲しみがあるだけだろう。だが、その刹那を捕らえられれば、このシーンの本質が理解されるのだ。
このあいだ、それが分かった。
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