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本当に、‘優しい人’が好きですか? [古典ポップス体験]

1728939 「神田川」
 かぐや姫という往年のフォークグループの代表曲の1つである。
 人生の貧しい時季を歌っている。現代から見れば、時代的にも豊かではない時季という感覚を覚える。
 スタンダード化された曲なので、これまでも、時々耳にする歌ではあったのだが、今、ある程度経験を経てから聴くと、驚くべき情緒表現の1行に気づいた。

 ただ、あなたの優しさが怖かった

 島田紳助の口調で言えば、
 「だいたい女の子とかみんな、‘私、優しい人がいい!’みたいなこと、よう言うやろ? でもな、ほんまに優しい人って──、(トーンを落として)怖いで…。」
 ほとんどの人間は、自分を、優しい人と思われることを望んでいる。だから、それを無意識に、あるいは強迫観念的に演じるのだが、演じている限り、それには限界がある。そもそも、優しいと思われたいという動機自体、他人の自分へのイメージをコントロールしたいというエゴなのだから、結果的に欺瞞とならざるを得ない。
 そんな限界を、僕たちは自分の中で不可抗力的に感じ取っているのだと思う。それゆえに、他人の優しさが、その人のメリットに適ったところで発揮されているということが目に見えたりした時、一瞬、不満を覚えたりするものの、その一方で、どこかホっとしているのではないだろうか。
 誰かが自分に優しくしてくれること。それは、自分にメリットをもたらすし、基本的にありがたいことなのだが、もし、その優しさにエゴがなく、その人が純粋にただただ自分に幸せをもたらしたいという素朴な願いからだったら、それに報いるものは、本当の優しさだけである。さもなくば、残るは、それへの裏切りだけである。もちろん、その相手は、それを返してもらおうなどとは、微塵も思っていない。それだけに、純粋に、自分が問われるのである。
 少なからずの人たちが、優しい人でありたいと望んでいる。しかし、実のところ、優しさは、演技によっても、理念によっても、ましてや、エゴによっても得られない。
 優しい人は、その人にとって不可抗力的に優しいのである。そうでない人が、不可抗力的にそうでないように。
 僕が自分を世界一冷たい人間であると秘かに称しているのは、そんな理由からだ。
 僕は、とりもなおさず、優しい人ではない。だから、本当に優しい人を見た時、思わす涙がこぼれてしまうのだ。
 そしてその涙は、無論、優しさからではない。むしろ、僕が、優しい人の側にいない人であるという証拠なのだ。

   若かったあの頃、何も怖くなかった
   ただ、あなたの優しさが怖かった

 僕は、そう語っているこの唄の主人公を愛する。
 僕もまた、優しい人が畏いからだ。

 

 


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