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自発性を探せ!⑪ ─集中を促してくれる人たち─ [俯瞰日記]

今日は代休日。

これから、宮台真司(社会学者)と藤原和博(区立中学校校長)の対談を見に行く。

テーマ・タイトルは、「新しい道徳」。小学校時代の国語の教科書みたいで、なかなかいい。

宮台真司は、以前、「朝まで生テレビ」に、彼がダテめがねをかけて出ていた時に、面白い人間だと思った人物だ。口が速射砲のようによく回り、加えて内容にも密度があるので、気がついたら、モノグサアタマの僕が、つい話に集中してしまっていた。自分から能動的に、何かに集中することが、あまり得意ではないので、相手の存在がそれを促してくれるのはありがたい。子供にとってのテレビゲームのようなものかもしれない。

できれば、ビールを飲みながら、娯楽として見たいところだが、一応、公開の場での真面目な対談なので、そうもいかない。 

 

僕は、政治、社会正義、あるいは直接的に社会を変えるなどということには、まるっきり関心がないのだが、なぜか、そういったことについて語られているのを見るのは好きなようだ。たぶん、自分を含めた人間一般の正体を見たいという好奇心からなのだろう。

そういう意味では、田原総一朗の「サンデープロジェクト」も‘毎週録画’にして見ている。この番組も、気軽に見始めて、やがて集中が促されるというパターンだ。田原総一朗も、僕にとって、宮台とは別な部分で面白いと感じる存在だ。

そういえば、以前、僕は別なブログで、こんな文章を載せたことがある。

 

〔欺瞞と正義〕

 相当昔、田原総一朗が、あるテレビ番組(徹子の部屋だったか?)で、「貴方が今、その仕事(ジャーナリズム)に一生懸命になる活力源(動機)は何ですか?」と聞かれた時の答えが印象に残っている。 彼は答えた。「野次馬根性です。」 この言葉を聞いて、僕は、彼が信用できると思った。  正義を語るのはいい。平和を語るのはいい。愛を語るのはいい。只、それは、できる限り、あらゆる欺瞞を排除してからにしてほしい。 我々は誰もが自我を持っていて、その事実は、自己の幸福に先立つものは何もないことを語っている。  何も、田原総一朗が、ことさら立派な人だと言っているのではない。 彼にとって最重要なのは、おそらく、人間の存在のレベルで、まず自己の事実に正直であることなのだ。僕が、彼が信用できると子供ながらに思ったのは、そこに共感したからだ。  

 

 図らずも、後日、田原氏の側近から、これに対するコメントが付いた。 

 

〔この記事へのコメント〕

ぼくは田原さんと接しているから誉めるのではないが、あなたのいうことはまさに正鵠をえている。威張ってるとか我侭だとかいろんな批判があるのは知っているが、自分に正直であることだけは間違いない。よく謙遜して、「ぼくは学識も能力もないが」というが彼はほんとうにそうであり、本気でそういっている。
欺瞞が嫌いだという点でも、そのとおりです。欺瞞がないので初対面のひとにはとても悪印象をあたえます。彼には飾るべき自己がなくだだ知りたいし分からんから聞くという野次馬根性しかありません。しかし不正直さに対する嗅覚はするどく、大抵の欺瞞はばれてしまいます。僕が彼に信用されているのは、分からんことを分からんといい。知らないことを知らないというからです。
僕はこの記事を書いているヒトを知らないが、あのへんな田原を信用できるというあなたは信用できる!!
不遜な言い方でごめんなさい。感動したもので、、、、 

 

 昔、竹村健一が、テレビ(クール・メディア)というのは、人間性を、そのまま表してしまうメディアなのでごまかしが利かないと言っていたが、確かにそうなのかもしれない。

 

 今日、宮台らの対談を見て、そのことで、何か決定的な発見があるとも思えないが、彼はフィールドワークを重視した学者なので、現在の人間に起きている現象に対して、ありきたりな理想論(彼の言葉で言うと、実効性が期待できない‘べき’論)ではなく、人間の本質に、ある程度リアルにせまった話が聞けることは期待できるだろう。

 

 

   

 もし、このブログを読んでいる人の中で、偶然にも今日、このイベントを見に行く人がいたら、聴衆の中に、僕、ジュリアン・ソレルもいます。

 (えっと、だから?)

 あ、いや、一緒に楽しめるかなぁって…。

 

 


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