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黄色い通園バッグ ──愛すべき欺瞞 ⅲ── [見て取られた自己]

 保育園に入園した初日のこと。
 新園児一人ひとりに、教材(!?)が渡された。
 全員に行き渡ったあと、その教材を入れて持って帰るための黄色い通園バッグが順番に配られた。
 一番端にいた僕の番の前の子で、通園バッグが尽きた。
 先生たちは、「あれ、足りなかったわね。ごめんね~。」と笑って、どこかから、デパートの四角い大き目の買い物袋を持ってきて、「ごめんね~、ソレルくん。今日は、これに入れて帰って。」と言って僕に渡した。
 他の先生が、「よかったねぇ。あなただけ、こんな大きなきれいな袋で。」と言った。その言葉で僕が喜ぶだろうという確信に満ちた笑顔だった。あるいは自分の発した言葉の機転に満足感すら覚えていたかもしれない。そんな表情だった。
 今思えば、彼女らが注文時に数を間違えたのだろう。改めて僕の分を取り寄せて、後日手渡してくれるというようなことを言われたような気もするが、そこはよく覚えていない。
 たとえ、そんなことを言われても、5歳の幼児にとっては、朝三暮四の猿同様、今もらえるかどうかが全てだった。
 極度に内気な僕は、精一杯、表情を出さずに、それを受け取り教材を入れた。

 僕が、人間の‘愛すべき欺瞞’に遭った一番古い記憶である。
 真新しい黄色い通園バッグ。大人にとっては、何のことはないビニール製のちゃちいバッグである。
 僕にとって、それは、おそらく、そのとき僕を善意の言葉であしらった先生たちにとっての何十カラットのダイヤモンドより価値のあるものだった。
 もし僕が、その時、先生(保育士)の立場だったら、僕が体験したような事態に遭遇している子供を目の前にしたら、激しく動揺し、絶対にその状況を許さないだろう。

 年齢的に視野が極端に狭い園児である僕にとって、そこにいた先生が全ての大人だった。
 結局、僕は、憧れの黄色い通園バッグを与えられなかった。どうやら、通園バッグが僕一人に渡らなかったことを先生たちは忘れてしまったようだ。

 僕にとっては、全ての人間が、そんな残酷なことに平気だった。

 今なら、それが全ての人間ではないことが分かる。
 だから僕は、正確を期して、こう言い直さなければならない。

 僕にとっては、ほぼ全ての人間が、そんな残酷なことに平気である
 
 
 
 
 
 
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