サービス精神 [見て取られた自己]
僕は、昔からサービス精神が希薄だった。
たとえば君が、そういう僕と数時間2人っきりで過ごさなきゃいけない局面に立たされたら。
どうする? 僕は君を楽しませる自信は、まるでない。
只、その間じゅう、僕が君を楽しむ自信は、掛け値なしにある。
そんな僕。エゴ丸出し? 自己中心性の権化? 私は遠慮したいって?
かもね。
でも、単純に非難されるだけのことでもないと、少し思っている。
ずいぶん前のことだけど、僕は塾講師をやっていたことがある。子供と1対1で相対した時、僕は、その子のことを、その存在のレベルから勝手に楽しんでたんだ。きっとその子への一般的な気遣いやサービス精神は、その頃も、やっぱりなかったし、持とうと思ったことすらなかった。
只、僕は単純に、それぞれの子の個性を愛らしく感じていた。
今の君のように普通の感性を持った大人の人にとっては迷惑な話なんだろうけど、僕がその時見た感じでは、目の前の子供の表情に、何か独特の安心感を見て取れた気がした。塾とはいえ、一応、教育機関だから、あるべき理念、達するべき目標を指し示すのが第一だったんだろうけど、それより僕は、その子の、何というか、自分の自我が支えられた時のあの安堵した表情を見るのが好きだった。
僕にできることは、それだけだった。だから、子供たちのそれぞれに対して、何か具体的に鼓舞したり、元気づけたりすることもしなかった。僕にそんなあり方をもたらしていたのが、つまり、この持ち前のサービス精神のなさだった。
君を心から楽しんでる。
僕にできることは、今でも、それだけ。
そして僕は、君が僕に求めているようなサービス精神を、君に全く求めていない。
このようなパーソナリティが僕の中に生まれたのには、理由がある。
別に聞きたくないか。
では、そのことは、またいつか。
クールドライくん的 恋 [見て取られた自己]
僕は、端っから、人の優しさなんて期待していない。
でもそれは、逆に、僕が世界でいちばん冷たい人だからなのかもしれない。
10月にしては、暑かった。
駅から10分の場所にあるデザイン事務所に入って、仕事を始めた。
エアコンが効いているのは分かったが、僕は、しばらく汗が止まらなかった。
既にテーブルの正面で作業をしていたその子が、「暑いですか?」と聞いてきた。彼女は、僕と所属会社は違うが、同じ仕事チームの一人だ。
僕は答えた。
「この部屋の気温が低くなっていることは分かるし、汗かいてるのは、今、駅から歩いてきた運動量のせいだから。」
右横にいたデザイナーの男が、「一瞬、温度を下げましょうか?」と聞いた。
僕は、少し慌てたように答えた。
「いいですよ。僕一人のために。」
部屋には、他に何人もの各担当のメンバーが既にいて、涼しい顔でそれぞれの作業をしていたのだ。
するとすかさず、その彼女が言った。
「私も暑いですから。」
僕は少しキョトンとしたが、あまり表情を出さずに厚意を受け入れた。
エアコンの温度は下げられた。
僕は、内心、感動していた。
僕の遠慮の言葉から、彼女の「私も暑い」という言葉までが、間髪を入れないドラマのような速やかな間(マ)だったからだ。
あの間が示す優しさは真似できない。少なくとも僕には。
あんな優しさ、見せられたら……。
僕は、あの子に、アタマが上がらない。
努力も演出もない、あんな青い優しさを見せられたら……。
出会って好きになるのに1秒もかからなかったというのに、
告白もしていないままに、あの子への気持ちばかりが、
また今日も大きくなったみたいだ。
優しく‘なる’ことは可能か ⅰ [見て取られた自己]
僕は、僕の心を追い込むことを得意としていたようだ。
よって、人を追い込むことも不可抗力的に得意だったようだ。
人に思考がある時、同時に、自己内に分裂がある。
思考は、言葉で作り上げた他者である。
自己は全てと一体であり、そこから限定的に切り離した他者が思考である。
つまり、思考とは、「意識できないが基調感覚としてある自己」と「意識された限定的な自己(私として浮上した他者)」の関係を、自分の中に併せ持っている状態だ。
そして、その関係性が、実際の他者との関係性の感覚を作る。
図らずも人を傷つける人。
人を決して傷つけない人。
どちらの危険度が高いかは、微妙だ。
一見優しい後者は、傷つけないポイントが分かっている。それゆえに傷つけるポイントも分かっている。やろうと思えば、効率的にピンポイントで人を徹底的に傷つけることもできる。
今僕は、自称、人を傷つけないポイントをわきまえた人間だが、小学校の頃は、ずいぶんと毒舌だったようだ。友達が呑みの席で回想して言うには、彼は僕のひと言で、「3日間寝込んだ」そうだ。
これには笑った。僕は金輪際、自分を優しいなどと勘違いすることはないだろう。