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自発性を探せ! 14 ─自由の虜─ [俯瞰日記]

 ずっと‘自由’を求めてた。
 政治的な、例えば、自由民主党という政党名が指すような自由ではない。
 もっと個人的な感覚の問題だった。
 今コンパクトに言えば、葛藤による不快感をなくしたかったということかもしれない。
 当時は、とても自分の中で説明のつくものではなかった。
 そういう意味では漠然としていたのだが、情緒的には切実だったので、孤独な希求だった。
 それを象徴する出来事が、中学の頃の思い出をとして残っている。
 高校入試のための模擬テストが定期的にあり、それの国語の問題の中に短い自由作文のようなものがあった。
 僕は、「周りの人が頑張っているという状況が嫌いだ。なぜなら、僕も頑張らなければならないという雰囲気が出来上がってしまうからだ。」といった内容の文を書いた。子供だったから、気持ちの正直な事実しか書けなかった。採点者が、どう評価するかを思い図る能力は、僕にはなかった。
 担任の教師が、そのことで、僕を職員室に呼びつけた。いきなり拳で頭を殴られた。拳骨という奴だ。この教師が、わりによくやる体罰なのだが、ドライで、管理しにくくなることからの憎しみが感じられる拳骨だった。
 その教師は、僕の書いたその解答用紙を見せて、「このようなことを書いてはいけないよ。」と言った。
 入試の採点者に悪い印象を与えるから不利になるといったアドバイス的な注意というより、中学生らしくない擦れた感じ、無気力性に腹を立てたようだった。
 たぶん実際は、僕は、むしろ人より擦れていなかったと思う。その時、その教師に対する悪意が起きなかったからだ。今なら、論理的に思い切り罵ることもできるだろう。
 例えば、「積極的に参加して動いて下さい。」と言われ、「はい。積極的にやります。」と応える人に、積極性はない。嘘の積極性は、僕(人)の人生を失わせる。そういった精神的なバイアスから自由である時、初めて、その人に積極性、あるいは本当の‘頑張り’が起きるのだ。
 そんな確信を、僕は感覚として持っていた。
 だから、雰囲気の強制というものに、極端に敏感だったのだろう。
 そんな信念を持って生きてきた僕は、実際に、強制を極端に受けない環境(職場)に身を置くことになった。
 だが、その時、僕は意外な事実に直面した。 

 

 

 

  

  

 


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