自我と孤立の向こう ① [見て取られた自己]
一般に孤立感の苦痛は、自我が支えられることによって癒される。
孤立感は、自我の存続を脅かし、そのことによる心理的疼痛をもたらす。これを癒すために、僕たちは他人を必要とする。例えば、自分の存在が確かに他者を楽しませているということが、その他者の表情や表明から実感できる時、僕たちは自我が承認されたと感じる。そのことによってメンタルが安定するというわけだ。
今日のブログ人口の増大は、そのことと少なからず関連していると思われる。
僕たちは、ざわめく心に落ち着きを取り戻させるために、ブログを書いている。
だが、その営みは、麻薬を求める患者のような果てしない自転車操業的作業とも言える。
孤立感の苦痛をもたらす根本的な原因は、(肥大化した)自我の存在そのものだからだ。
すなわち、僕たちは、他人との関係性を利用し、またコントロールして、自我をより堅固なものとしているのだが、同時に、その営み自体が、孤立への恐れ、苦痛の主体となる自我を強めているのである。
但し、苦痛を排除するための努力が、そのまま、苦痛の存続、あるいは増大をもたらすという、この皮肉な根本的矛盾劇の構造を悟った者にとっての‘ブログ’は、別な意味を持ち得ると思う。
まだ、実験中だが。
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