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意味のベクトル ②-1 [僕の こじつけシンクロニシティ物語]

 仕事で、ある雑誌を読んでいて、たまたま、蛭川 立という進化生物学者の文を目にした。
 「日常的な認知の枠」から自由な状態で目を開けたら、「世界そのもの」が見えてしまう、という表現が気に入った。
  
 この‘世界そのものの体験’は、あるキノコに含まれる幻覚作用を起こす成分によって比較的簡単に得られるのだという。
 近代社会が、こういった幻覚剤を危険視するのは、「日常的な認知のフレーム」への依存性が失われる恐れがあるからだと、蛭川氏は述べている。
 
 ここで言う「世界そのもの」を、あえて‘世界’と呼ぶなら、近代社会というものは、‘サブ世界’ということになるだろう。
 僕たちは、生存し続けるための条件(例えば明日の食料を得ること等)を、このサブ世界のシステムに依存しているわけだから、そのシステムを保管し、継続する営為に、当然、参加すべきという思想には、最大多数の共感が期待できる。
 そのことが踏まえられ、さらに、社会‘秩序’、あるいはサブ世界の維持は、万人にとっての当然の義務であり、疑いようもない価値を有しているという、何となくの共通信仰が生まれたのだろう。
 
 基本的な意味としては、秩序とは、平衡が保たれた状態を指す。
 僕たちは、何らかの秩序を信仰し、適合することで、信仰仲間から認知されるという心理的な安定感というご利益(報酬)を得ている。
 このご利益が得られることで、僕たちは、さらに、この信仰を深めることができるという循環だ。

 

 

 

 

 


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