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マイ・フェチ・ブーム [俯瞰日記]

 いつか、テレビで優木まおみが、自分のことを噛みフェチだと言っていた。
 やたらに、人の腕を噛みたくなる衝動に駆られるらしい。
 感覚的に、よく分かる。
 僕もまた、噛みフェチだ。
 
 よく、猫を噛んでいた。
 あらゆる部分を噛んでいた。
 実家で飼っていたその猫にとっては、世界で最も迷惑な愛情表現だったかもしれない。
 特に、手首を内側に丸めた状態になった部分を噛むのが好きだった。
 あとは、薄っぺらい耳、口吻(口のあたりのこんもり膨らんだ部分)、しっぽ、肉球、膝。
 膝は、猫がスフィンクス座りをした時、左右の後方が盛り上がった部分だ。
 背中も噛んでいた。猫の背中は山脈状になっているので、すいかを食べるように噛むことができる。人間だと形状的に絶対無理だ。
 
 まおみちゃんのように、人間に対しても噛みたい衝動はあるが、基本的に、人間はパーツパーツが大き過ぎて噛みにくい。人間の口が犬のように開けば別だが、残念ながら僕たちの口は、ドームのように穴が広がるという開き方だから、大きなものに噛みつくのには向いていない。
 
 昔つき合っていた女の子の指は、よく噛んでいた。演歌の詞のような意味でもなければ、いちゃいちゃ時の甘えた戯れでもない。
 例えば、彼女がふだん話をしている中で、「たった一つだけ~、」といった数が出てきた時に、無意識的な動作として指を一本立てることがよくあった。その途端、僕は話の内容より指そのものに注意が行ってしまい、無性に、それを噛みたくなって、アヌっと噛むのである。
 理由もなく、つないだ手を引っぱって、指を噛んだこともある。その時の彼女は、僕の指を噛み返してきた。
 冗談を返す意味で、そうしてきたのかと思ったら、そうではなかった。
 彼女は僕を睨んで、こう言った。
 「噛まれる人の気持ちが分かったか。」
 身をもって痛みを知れという意味だったのだ。
 
 僕にとって、噛むという行為は、必ずしも親しさの表現ではなく、純粋に噛みたいというフェチ衝動なのだろう。
 噛む対象に差別はない。動物(哺乳類)であれば良いのだ。
 噛むという動作を別にしても、僕は、人間を他の動物と同じような感覚で見ているところがある。
 例えば、犬がアクビをしているのを見て「あ、人間をおんなじだ。」と思う時と、人間がアクビをしているのを見て「あ、犬といっしょだ。」と思う時の感覚が、等価なのである。
 
 語意上、英語で言うアニマルではなく、動物と表現した場合、基本的に人間も含まれている。
 動物という文字面が示す通り、我々生き物は、物質でできているのだが、自らの意思で、いろいろと動く何かなのだ。
 それは、最も基本的な神秘の一つである。
 僕にとって、動物たちは、その神秘を共有する仲間なのである。
 
 確かに昔、僕は猫をよく噛んでいたが、それは全く一方的なものではなく、猫の方が僕の手を噛んでくることもあった。僕に噛まれた痛みに対する反撃の時もあれば、何の理由もなく噛んでくることもあった。いずれも、加減をわきまえた噛み方だった。後者の場合は、ピクピクとリズミカルに強弱をつけた奇妙な噛み方をしていた。それは、噛むことそのものの快感を感じているようでもあり、コミュニケーションのようでもあった。
 
 今、僕が使っているフェチという言葉は、「個人的な快感の衝動に向かわせる物事」といった意味である。
 最近の潮流通り、必ずしも性的興奮といった連想に向かわない語感になっている。ドS、ドMという言葉が、実際の生々しいプレイへの連想を全く伴わないで使われているのと同様である。
 それを踏まえて言えば、僕の現在の3大フェチ衝動は、
 ①犬の口吻を、グッと握りたい
 ②男のしっかりした左右の背中上部を、ボム!ボム!っと掌底で叩きたい
 ③女性のふくらはぎをギュっと握りたい
 である。
 全て、他の生き物への我慢を強いるものばかりなのが、難と言えば難だ。

 

 

 

 

 

 


 


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