『無気力一代男日記』 15.世にも空しい話し合い [俯瞰日記]
社長との話し合いは、大半が先日のミスについてだった。
そこは、不幸中の幸いだった。
どうやら、何としても、僕を、すぐに‘蟹工船’現場に入れてやろうという意思は、今はないようだ。
先日のミスに関する瀬崎社長の見解は、予想内を、びた一文出ない内容だった。
‘千の核ミサイル’の内、一人で迎撃できなかった1発や2発の取りこぼしを、後衛部隊が3人、4人で迎撃したら、その事実が、そのまま、後衛部隊の能力が完全に前衛を上回ることを意味するという極めて幼稚な短絡を根拠にした話である。
「同じ人間なのに、なぜ、できないんだ。」とまで堂々とのたまう。
反論する気を十分に失わせる言い分だ。
五十音から、あるいは、足し算、引き算から説明する気力はないし、そうしても、これまでの経験から察して、その説明の過程で、さらに、僕への悪意を深めるだけだろう。
この恐ろしく低い理解力、認識能力で、取引会社とまともな交渉ができるはずもない。
以前、新しい仕事の依頼を受けて、その内容と条件の交渉に行く直前に、瀬崎社長とタクシーに乗り合わせたことがある。
その時、社長は、不安そうな声で、こう言っていたのだ。
「いくら、もらえるかなぁ。」
こちらのスタッフのスキル・レベルに応じた適正料金の認識がないばかりか、そういう発想自体がない。
つまりは、瀬崎社長がする交渉には、相手の言い値しか存在しないのだ。
昨日、今日始めた会社ではない。
売る側が適正価格を把握していないどころか、提示する金額もその根拠もない。
提示した上で、結果的に、こちらで算出した常識内での適正価格を下回った料金での契約になったとしても、その過程の認識──つまり、適正価格より安くしてもらっているという負い目──は、先方に残る。
実は、今、僕が入っている‘千の核ミサイル’を迎撃する仕事が、その時の、つまり瀬崎社長が相手の言い値を只、奴隷的に受け入れた仕事である。
僕の経験と、僕の事務所に蓄積された資料から鑑みると、その料金価格は、適正価格の2/3くらいである。
交渉時に、一般的な、あるいは、こちらのデータに基づく客観的な適正価格を示していないので、先方の会社は、それを適正価格だと思っている。先方の会社にも、要求しているスキルに、どれだけコストがかかるものなのかという認識がなかったのである。
先方の依頼会社が、今、多かれ少なかれ、こちらのスキル・レベルに不満を募らせているとしたら、適正価格の2/3しか払っていない事実を知らないからとも言える。
相手が、その価格で喜んで売っているんだから、商品の品質については、厳しく言わせてもらうぜ、というのは、当然と言えば当然の論理である。
誰だって、どんな買い手だって、商品が少しでも安いに越したことはない。たとえ、交渉相手がバカだと分かっても、支払う側は、コストを極限まで落とすのが責務である。
瀬崎社長のよくする話によれば、(いろいろな意味で勘違いをしている)先方の担当課長が、後衛部隊の長・島村を、ミスが出る度ごとに(つまりは、後衛部隊が、前衛の打ち損じを迎撃した事実を知ると)叱りつけているというのだ。
瀬崎社長の妄想じゃないのかと、やや疑っているところだが、本当に、気合いだけを作戦成功の根拠にしているぼんくら伍長なのかもしれない。
それに震え上がってか、仕事を切られるかもしれない恐怖に駆られてか、島村は、その愚劣な勘違いからくるクレームの内容(つまり、千の核ミサイルを一人の前衛が全て迎撃して当然であるということ、そのために十分な報酬を支払っていること)を、心から受け入れているようだ。
先方のぼんくら伍長、いや、担当課長が本当に怒るべき相手は、前衛部隊の長である俺じゃないのか。
不思議なことに、そのぼんくら伍長は、一度も、僕のところに文句を言ってきたことはない。
今回の社長との話し合い。
相手に初歩的な理解が期待できないという厳然たる事実を前にして、僕は、間違った認識を前提とした答えで、その場を収めざるを得なかった。
「アルバイトの江藤は外します。もう一度、チャンスを下さい。」と。
僕は、嘘をついている。
江藤を外すことは、中長期的に見て明らかに間違いだし、既に、この前衛の現場で、僕がやれていること以上のことは存在し得ない。
社長は、答えた。
「ソレル君の‘チャンスを下さい’という言葉がなかったら、先方に切られる前に、こちらで、迎撃の得意な奴にすげ替えるしかないと思っていた。」と。
バカバカしい。
たぶん、ありきたりの不条理。
そして、いつまで経っても、それを前提にできない僕がいる。
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