貴重な安心感 [僕の こじつけシンクロニシティ物語]
シンクロニシティ的な現象に逢うと、そのときの行為に意味があり、今、‘おまえ’はこれで良いのだという励ましを受けたような気になる。
先日、ある文庫本を読んでいた。本の著者は、元エンジニアで、かつてカリフォルニア州のいわゆるシリコンバレーと呼ばれる地域に住んでいた人だ。
気候が1年を通じて素晴らしく、そこに雰囲気の自由さも加わり、日本では全く得がたい環境であるという記述があった。
翌々日、仕事で、ある経済誌を読んでいたら、グーグルのことについての特集記事があった。
グーグル本社は、シリコンバレーにあり、そこの社員は、非常に自由な仕事環境の中で働いており、時々気分転換にカリフォルニアの爽やかな気候下の公園に出かけているというキャプションに出合った。
それだけの偶然だが、何となく元気づけられた気分になった。
前にも書いたが、自分という個体と外界としての世界で起きていることは、互いに独立して進行しているように見えるが、実は、何らかの原理で直接繋がっているという感覚とでも言おうか。
特に僕のような孤独な人間は、そんな出来事から、貴重な安心感を得るのだ。
まぁ、ほっとけば一日で忘れてしまうような体験なので、その記憶がまだあたたかいうちに記してみた。
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