‘キチガイ’として生きる [怒りのツボ]
俺の名前はキチガイマン。
俺は、保護されるべき人間。
俺は、何をやっても許されるべき人間。
万が一、裁判になっても、必ず無罪になる人間。
人呼んで……
いや、呼んではいけない。
公の場で、俺を呼ぶと、人権侵害になるぞ。
ましてや、テレビの生放送で言うと、出入り禁止になるぞ。
そんな意味でも無敵の男。
そう、俺の名前は──、
キチガイマン!
路線バスに乗っていたんだ。
バス出勤ってやつだ。
地下鉄だけで行けるのだが、敢えて、バスに乗り換えて出勤している。
昔、ビートルズの「A Day In The Life」を聴いた時、その雰囲気に憧れた。
ポール・マッカートニーが作った部分だ。朝、ぼーっとした状態で、なんとかバスに乗り込み、タバコを一服吸って夢の世界に入るという詞だった思う。
ん? 座席の後ろのあちこちに「止まるまで席を立たないで下さい。」と、しつこくシールが貼ってあるのが目についた。
停留所案内の放送でも、「お降りの際は、停車してから席をお立ちください。」と言っている。
俺は、降車ボタンを押し、その通りにした。
キチガイマンは、愚直を旨とする。
降りようとしたら、開いていた降車ドアを閉められた。
もう降りる客はいないと、運転手が判断したようだ。
俺を誰だと思っているのだ。
あのキチガイマンだぞ。
「開けんか、コラー!!」
俺は、心を込めて、思い切りドアをガンガン蹴ってやった。
俺の中のキチガイ魂は、自然に、正義を表現していた。
「止まるまで席を立たないでください」という表示は、客が揺れによって転ぶなどして怪我をしないようにと配慮したものではない。
万が一客が怪我をして責任問題になった時、「ほら、この通り、注意書きがあるでしょう?」と言うため、つまり、責任逃れのための対策だったのだ。
現に、今回の俺のように、本当に愚直に注意書きの通りにしたら、出口に向かっている途中で、降車ドアは閉められた。
つまり、運転手は、客が、自分の目的の停留所にバスが止まる前からさっさと降りる用意をしていることを前提に、降車ドアを開け閉めしているのだ。
このような無神経で身勝手な欺瞞こそ、キチガイマンは許さない。
よい子のみんな。
このキチガイマンに続くのだ。
君たちも、きちんと、まじめに注意書き通りに、バスが止まってから席を立つんだ。
そんで、もし降車ドアを閉めやがったら、ドアをぶち破るつもりで蹴って蹴って蹴りまくってやれ。
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