1.無敵になりたい。 [『無敵になりたい』]
僕はね。
ある時、思ったんだ。
「無敵になりたい。」って。
幸せには、いつも、‘理由’がある。
だから、僕たちは、その理由に頼って生きている。
頼っているから、それを失うのが、怖い。
気がついたら、ず~っとず~っと‘理由’の奴隷になっている。
理由は、いつも、僕の外にある。
だから、僕は、理由を探し、理由を追いかけ、理由を待っている。
もし、僕が、僕の中に‘理由’を見つけられたら。
僕は、無敵の幸せ者になれる。
だから、僕は、思ったんだ。
「無敵になりたい。」って。
2.表現が癒し [『無敵になりたい』]
実はブログを書くことが癒しになっているんだ。
表現することが、僕を癒す。
そして、僕が表現している相手の最前列に僕がいる。
癒しを求めることは、本能的衝動。
つまり、表現は、本能に根ざしている。
本能。いいね。頼れるバック。
なめるなよ。俺のバックには、本能がいるんだぜ。
とは言っても。
3.過去、現在、未来のリアリティ [『無敵になりたい』]
「おお、無敵を望む者よ。
その厚かましい願いによって、悩める者よ。
過去は、既に存在せず、未来は、未だ存在していない。
つまり、おまえは、存在していないものに、リアリティを持たせているのだ。
ここで言う‘リアリティ’とは、自分自身の心身に
感情的影響力(一喜一憂)があるということだ。
過去への方向にせよ、未来への方向にせよ、そのリアリティ感は、
心理的時間の幅がもたらしている。
おまえは、それを微分していく必要がある。
微分して微分して、その究極という意味での
現在の(実際の、また唯一の)リアリティを知覚して初めて、
時間軸とは違う方向(垂直)の軸が立ち現れる。」
古典心理学では、人間の行動原理(動機、衝動)において、過去の原因に注目したのがフロイトであり、未来の目的に着目したのがアドラーだった。
僕は、そのどちらも幻想として看破することを望んだ。